荻村 伊智朗とは

荻村 伊智朗(おぎむら いちろう、1932年6月25日 - 1994年12月4日)

ITS三鷹の創始者である荻村伊智朗は、世界選手権で12個、日本選手権で5個の金メダルを獲得した偉大なプレイヤーでした。選手引退後には、日本はもちろん海外にも招聘され、何人もの世界チャンピオンを育てた名コーチでもありました。

ピンポン外交や第3代国際卓球連盟会長、元日本卓球協会副会長、日本オリンピック委員会国際委員長等を務め国際的に卓球の普及に尽力しました。
没後業績を称えて現在のITTFワールドツアーの1つ、ジャパンオープン卓球選手権大会が、荻村杯国際卓球選手権大会(ワールドツアー・ジャパンオープン荻村杯)に改称されました。また1997年には世界卓球殿堂入りを果たしました。

卓球の指導書17冊をはじめ、様々な雑誌等への寄稿など、優れた文筆家であり卓球の理論家でした。

荻村 伊智朗著書

「中高生指導講座 Ⅰ」1963年
「世界の選手に見る卓球の戦術・技術」1967年
「卓球教室」(鶴書房)1969年
「卓球教室」(大修館)1972年
「卓球 世界のプレー」(講談社)1972年
「中高生指導講座 Ⅱ 」
「アラブ卓連用にアラビア語の卓球指導書」(大日本印刷)1979年
「卓球競技を見るための本」(同文書院)1982年
「実践 卓球」(大修館)1984年
「ザ・ベスト卓球」(大修館)1984年
「卓球」(日本文芸社)1984年
「卓球・勉強・卓球」(岩波ジュニア新書)1986年
「卓球教室」(成美堂)
「君も名選手になれる卓球教室」(成美堂)1989年
「卓球クリニック」(ヤマト卓球)1990年
「私のスタンディングオベーション」(日本卓球)1991年
「スポーツが世界をつなぐ」(岩波ジュニア新書)1993年

荻村 伊智朗に関する著作

  • 笑いを忘れた日 (卓球王国ブックス) 荻村伊智朗,今野昇 (編集)
  • 荻村さんの夢 (卓球王国ブックス) 上原久枝,織部幸治,藤井基男
  • ピンポンさん (角川文庫) 城島充

荻村伊智朗 資料集

荻村伊智朗 略年譜 国際卓球連盟会長時代(54~62歳)

1987年(昭和62年)55歳2月27日、ニューデリーの総会で第3代ITTF(国際卓球連盟)会長に就任(~94年)
ITTF会長として「ACTIVEITY REPORT」を随時発行し支援者に送付
日本卓球協会副会長に就任(~94年)
  
「卓球発展計画プロジェクト」(座長 波岡實)の発足
 現在(2014年)の卓球のイメージアップに大きく貢献
1988年(昭和63年)56歳卓球が正式種目に加わったソウル五輪でITTF会長としてサ[...]

荻村伊智朗 略年譜 指導者・卓球理論家・執筆者として活躍の時代(32歳~50代前半まで)

1965年(昭和40年)34歳世界選手権リュブリアナ大会 選手兼監督新しい指導法・練習法を導入
日卓協(日本卓球協会)の理事・強化対策本部ヘッドコーチに(協対ニュース)
1967年(昭和42年)35歳第29回世界選手権ストックホルム大会女子監督
日卓協の理事・ヘッドコーチを辞任
  
「世界の選手に見る卓球の戦術・技術」(卓球レポート)出版
1968年(昭和43)36歳貿易商社「荻村商事」を設立し社長[...]

荻村伊智朗 略年譜 世界選手権に12年連続出場 日本人最多の12タイトル(21~32歳)

1954年(昭和29年)22歳第21回世界選手権ロンドン大会に初出場
男子団体:優勝(荻村・富田・田舛・川井)男子シングルス:優勝(決勝:フリスベルグ)男子ダブルス:3位(パートナー:富田)
5月、フランスオープン(パリ)、シングルス(決勝:シド)ダブルス(富田)優勝
7月、台中市国際トーナメント、シングルス(決勝:田中)優勝
8月、アキレス腱損傷6か月休養・速攻からオールラウンドに
11月~1[...]

荻村伊智朗 略年譜 卓球を始めて5年半で日本一になるまで(16歳~21歳)

1948年(昭和23年)16歳都立西高等学校に入学
卓球部に入る
コルク張りラケットを買い、持ち方を上級生から教わった
1か月後にラバーを買い、セメダインでコルクの上に貼って使い始めた他の運動は全部やめ、卓球だけしかしなくなった
9月初旬、国体予選に出場したが、1回戦で負けた(相手は武蔵ヶ丘高校の水谷君)
1949年(昭和24年)17歳 高校2年6月、東京都下3市3郡選手権大会・少年の部2位(※約9カ月[...]

荻村伊智朗 略年譜 卓球を始める前(0歳~15歳)

1932年(昭和7年)6月25日父素男、母美千枝の長男として伊東市(静岡県)に生まれる
1935年(昭和10年)3歳3月20日父32歳で死去(2歳9ヶ月で母1人子1人に)
1940年(昭和15年)8歳小学2年のとき、東京都三鷹市へ引っ越す
小学6年までは戦争中だったので、騎馬戦、赤帽とり、撃沈、すもう、泥合戦などをすることが多く、ドッジボール、たまに野球もした
そのほか行軍と言われる、長い距離を歩く練習も学校でさ[...]