「荻村一晃君へ」ラポーム 2023年11月号 -東京の卓球スクール-
荻村一晃君へ
貴方が8歳の頃に、荻村伊智朗さんが主宰する青卓会に私は入会させていただきました。
昭和43年12月のことです。
昭和43年12月のことです。
それから55年間ずっと貴方と一緒に卓球の道をお互いのろのろと、しかも右に行ったり左に行ったり、しばしば立ち止まったりしながら歩んできました。
この長いつながりこそ、我々のクラブライフでしたね。
東京都下大会などで貴方が試合をすると何人もの人が、コートを取り囲んで試合を見物していました。10歳の貴方に負けてしまう大人は気の毒でした。
相手が田中という選手の時には「荻村対田中」の試合だということで見物人は大いに盛り上がったものです。
貴方もやりにくかったと思うけど、相手もずいぶん緊張してましたよ。
その後貴方も青卓会に入会し、本格的に選手生活をするようになり、合宿や遠征そして試合では常にチームメイトでした。
共に荻村伊智朗に鍛えられ、時に反発もしましたが、荻村さんへの尊敬は共に揺るがないものだったと確信しています。
卓球だけでなく青卓会のみんなで遠出してのバーベキューやボーリング、登山なども宝物のような思い出です。
競技生活を終えてからもコーチの修行を池袋コミュニティーカレッジで一緒にしましたね。
ITS三鷹を創設する前には、クラブ運営やビジネスの勉強のため一緒にアメリカに行き、ポートランドのナイキ本社、サンディエゴのミッションビヨホスイミングクラブ、ニューヨークではブルーノートにジャズを聞きに行きました。
オクラホマ州では検事総長の話を聞き、広大なUCLAも見学しました。
ノースカロライナに行かなければならないのに、サウスカロライナに行ってしまったときはずいぶん遠回りをした思い出です。
今年でITS三鷹は創立35年を迎えました。ここまでクラブがやってこられたのは貴方の支えがあったからです。感謝以上のものを感じています。
荻村伊智朗さんが1994年に亡くなった時、貴方は「父は世界中の人々に平和を届ける志を持ったスポーツマンでした」という言葉を使命感に満ちた声で力強く世界に向けて発信しましたね。
私と貴方はその遺志を継いでともに歩いてきました。
貴方は10月21日伊智朗さんと時美さんの処に旅立ちました。
貴方が今どこにいてもどうしても伝えたいことがあります。
一晃ありがとう、また会える日を楽しみにしています。
ITS三鷹 代表 織部幸治
青卓会チーム中央優勝カップを持っている荻村一晃君(1982年長野県戸倉にて)