ラポーム 2019年4月
イチロー選手と荻村伊智朗
3月末、野球のイチロー選手が数々の輝かしい記録と記憶に残る数々の言葉を遺して現役引退を表明しました。
かつてイチロー選手が4000本安打を達成したときに「4000本打ったということより、打てなかった8000本から逃げなかった自分を誇りに思う」という言葉を遺しました。
今回現役引退発表に際しては「シーズン200本安打10年連続などの新記録達成は、自分の中ではほんの小さなことで、それよりも試合に出られない日が続いても、やるべき準備をやり抜いた自分を誇りに思う」とコメントしました。
どちらも私にとって大変勇気づけられた言葉です。
失敗から逃げないことや、苦しくてもやるべき努力を自分なりに続けることは私にも出来るからです。
1961年、中国にとって初の開催となった世界選手権大会が、大会直前に完成した1万5千人収容の北京工人(労働者)体育館で行われました。
前回1959年ドルトムント大会で6種目に優勝した日本は、全種目優勝を目標に北京に意気揚々と乗り込みました。
しかし油のひかれた床はつるつるで、大きな移動とフォアハンドを得意とする荻村選手は男子単準々決勝、優勝した19歳の荘則棟に完敗しました。
試合後の感想として「私のフットワークは世界一だと思っていたが、全天候型ではなかった。この床で中国選手たちは見事なプレーを見せた。私たちは彼らのフットワークを学ばなければならない」と3ページにわたり「中国選手のフットワーク」と題し反省・研究のみごとな記事を帰国後に卓球専門誌(卓球レポート1961年6月号)に書かれています。
滑ったから負けたというような「言い訳」「床の批判」ではありません。
荻村伊智朗さんの本格的な中国卓球研究がここから始まり、その後の日本卓球強化対策本部に繋がっていったのだと思います。
荻村伊智朗さんは批判の人ではなく、建設の人でした。
ITSの選手は「言い訳をしない」「弱音を吐かない」「文句を言わない」ということを大切にしてほしいと思います。
10代の頃、荻村伊智朗さんに言われたことを思い出しました。
「選手は評論家になるな、言うのではなくやるのだ」と。
ITS三鷹 代表 織部幸治