ラポーム 2021年10月
“なじませてポン”
かつて卓球界に“なじましてポン”という珠玉の言葉があったようです。
最高の打球を目指す心構えを、実に分かり易く見事に説明している言葉だと思います。
「ボールが飛んでくるコース、回転の方向や量、スピードやタイミングを注意深く観察し、丁寧に打球することを心掛けて打つ!」では伝わらない微妙な感覚や時間の流れを“なじましてポン”でやってみると、体全体が納得した居心地の良さを感じます。
なじませる(馴染ませる)という言葉を調べてみると「新しい環境に順応するように働きかけること・同化させる・溶け込ませる・一体化させる。または、徐々にある状態になっていくこと。」とあります。
この“なじましてポン”は「早稲田大学卓球部五十年史」(昭和51年発行)の荻村伊智朗さんの寄稿文の中に書かれていたものです。
「私の中の早稲田卓球」と題し、
“およそ30年になろうとする私の卓球活動は、早稲田大学の卓球に学んだことと深い関係がある。”
から始まる寄稿文には、私(織部)が知らなかった荻村さんの若き日々の努力の様子もいきいきと語られていました。
“私が最初に読んだ本は、今孝さんの『卓球』。何十回も読み、注をつけ、日本は強かったんだなあ、と感じた。
高校三年のとき、早稲田OBの鎌田さんの蔵書を何十冊もお借りする機会があって、私ははじめて日本の卓球というものの全体像に目をひらいた。
大学にすすんで、池之端である日、野村先生のかの“なじましてポン”という打球点中心主義(私も共鳴)の講義を受け、多くの方が体験されたであろう先生の腹の太さを背中に感じた。”
(文中の野村先生というのは野村堯(たかし)氏。昭和20年代の早稲田大学卓球部監督で卓球理論家として著名な方です。)
(文中の野村先生というのは野村堯(たかし)氏。昭和20年代の早稲田大学卓球部監督で卓球理論家として著名な方です。)
“かの”とあるのは当時はこの“なじましてポン”というのは誰もが知っていた有名な言葉だったのでしょう。
日本の卓球が生んだ素晴らしい知恵を後世に伝えていく責任を感じご紹介させていただきました。
コロナ禍を経験し、すべての人類は新しい環境に順応していかなければならない新しい時代に入っています。“なじましてポン”は生き方のお手本でもあるように感じます。
ITS三鷹 代表 織部幸治